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涼香の一滴 ― 冷茶に宿る、からだと肌へのやさしき便り

日差しが強まり、夏の熱が肌の奥にまで染み入るころ、自然と手がのびるのが、ひんやりとした一服の茶である。氷を浮かべた茶器に透ける淡緑の光は、一陣の風のように、視覚からも涼をもたらす。

冷茶の美しさは、単にその温度にあるのではない。低温でじっくりと抽出された液には、肌と心をしずかに潤す、穏やかな力が宿っている。

かつて和歌と兵法に通じた文化人、細川幽斎は、茶の湯を極めるなかで「水」そのものに深い関心を寄せた。京都の朝、まだ陽も昇りきらぬうちに名水を汲みに出かけたという。柳の木陰に湧く「柳の水」、あるいは「醒ヶ井」の澄んだ流れに、幽斎は茶にふさわしい水の姿を見たのだろう。冷ややかな水に茶葉を沈め、朝の静けさをそのまま湛えた一服は、武士の緊張をほどく、束の間の詩であったに違いない。水の音、葉の香、時の静けさ――それらが溶け合う幽斎の茶は、冷茶の原風景のひとつであったのかもしれない。

江戸の夏、火照る町を歩けば、「冷やし茶売り」の声が聞こえてきたという。井戸や川の水で冷やした飲みものは、竹筒や陶器に注がれ、往来の人々の喉を潤した。麦湯や冷水、薬草茶のほか、煎じ茶を冷ました一服も、人々の涼と癒しとなった。そんな町の風景に、ひときわ涼を添えたのが、湯島天神門前の茶屋「鍵屋」の娘、笠森お仙である。鈴木春信が描いた「団子を持つ笠森お仙」では、薄衣の袖越しに透ける腕が、涼やかな装いの中に、ほんのりとした艶を漂わせる。お仙が運ぶ茶のひと椀には、暑さを和らげ、心までほどくような涼しさが宿っていたに違いない。美しさとは、かくも静かに、日々の中に差し出されるものである。

明治十年、文明開化の風が吹く銀座の「風月堂」では、日本で初めて氷を用いた冷茶が供された。洋の技を借りながらも、そこには変わらぬ日本の茶の趣が息づいていた。

現代の研究によれば、緑茶に含まれるカテキンやビタミンCには抗酸化作用があり、紫外線で傷つきやすい夏の肌を内側から守ってくれるという。だがビタミンCは熱に弱く、熱湯ではその多くが壊れてしまう。だからこそ、冷たい水で丁寧に抽出した茶こそが、美容にもっともやさしい一服なのだ。

さらに、低温抽出によって際立つのが、旨み成分テアニンの豊かさである。心を穏やかにし、交感神経の昂ぶりを鎮めてくれるこの成分は、ストレスや睡眠不足による肌の不調にも静かな効果をもたらす。ある研究では、テアニンによって血流が改善され、肌の新陳代謝が促されたとの報告もある。

冷たい飲み物は、しばしば胃腸への負担が懸念されるが、冷茶はその例外といえる。カフェインやタンニンが控えめで、身体にやさしい。朝の目覚めに、あるいは午後の静かなひとときに、そっと寄り添ってくれる。

からだのめぐりを整え、余分なものをやわらかく流し出しながら、くすみやむくみを防ぐ。そのはたらきは、寄せては返す波のように、静かに美しさを育んでいく。

冷蔵庫でゆっくりと水出しするもよし、氷を浮かべて香りを引き出すもよし。茶葉に水を注ぎ、数時間かけて旨みを待つその時間は、現代に生まれた小さな作法なのかもしれない。

目に涼しく、口にやさしく、肌に嬉しい。甘みと清涼感が舌の上にやわらかく残るその一滴が、肌と心に、静かに潤いを運ぶ。美は、冷たい茶の中に、そっと宿っている。

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