Thea ― 茶という名の女神
静かな夜のことだった。 手のひらの茶碗から立ちのぼる香に誘われるように、私はふと夢の境を越えていた。 そこは、遥かな昔。 神々がまだ人の暮らしに寄り添い、言葉を交わしていた時代。 一枚の葉――東方から運ばれた不思議な草をめぐって、 誰がその守護神となるべきかを語り合う、麗しき競演が始まろうとしていた。
最初に姿を現したのは、威厳に満ちた女神ジュノー。 「私は神々の女王。あらゆる植物を見守る立場にある者。 ならば、この異国の葉――その優雅さと節度をもって、人々の口にのぼるこの茶もまた、 私の庇護を受けるにふさわしい。」
続いて、知の光を纏ったミネルヴァが、静かに一歩前に出る。 「この葉こそ、学者の沈黙を支えるもの。 カム川やアイシス川のほとりで深く思索に耽る者たちの傍らにあるべきもの。 知と霊感の霊薬として、私はこれを引き受けたい。」

すると、愛と美の女神ヴィナースが、ほのかな香をまといながら微笑む。 「美しいものには、美しい守り手がふさわしいでしょう? この茶が与える潤いと、ほのかに灯る幸福感―― それは、恋する心と同じ色をしている。」
次に、月と森を司るキュンティアが口を開いた。 「清らかで、控えめで、しかし確かなる生命力を宿す葉。 それはまさに、処女神の名にふさわしい。 私はこの茶に、深き静けさの祝福を与えよう。」
商業の神メルクリウスの影に寄り添うように現れたのは、女神ティス。 「東方の葉が海を渡り、商館をめぐり、帝国を潤す。 その流れを支えてきたのは、交易という技術の誇り。 ゆえに、この茶は文明の象徴であり、富と栄光の印なのです。」
最後に、そっと立ち上がったのは、健康の女神サルス。 「この草は、熱を鎮め、心を安らげ、病を遠ざける。 その効能は、まるで神託のように人々の身体を導く。 私は、この茶を“癒し”そのものとして讃えます。」
それぞれの神が語り終えたあと、しばし沈黙が広がった。 そして、玉座の上に座する主神ジュピターが、ゆっくりと腰を上げる。
「これほど多くの美徳を備えた植物は、もはや一柱の神では抱えきれまい。 されば我ら全員をもって、この茶を守護しよう。」
その声が空に満ちたとき、香のように立ちのぼる柔らかな光のなかから、 一人の女神が姿を現した。 彼女の名は、Thea(テア)――茶の精霊にして、美徳の化身。 そうして、東の葉は、ついに西洋の神話の裡にその居場所を得たのである。

あれは夢だったのか。 それとも、三世紀を越えて、ネイハム・テイトの詩が一服の茶とともに、私の中で蘇ったのか。この香気の奥には、確かにあの時代の神々と、茶を讃えた詩人の声が、ほのかに息づいている。――彼の幻想に触れ得たことに、ただ静かに頭を垂れる。