煎茶の風情 ― 文人たちの知恵、今に生きる恵み
春めくと、ふと煎茶が飲みたくなる。湯気にのぼる若草色の香りが、冬の縮こまった心をそっと解してくれる。
『草枕』の一節を思い出す。「濃く甘く、湯加減よく出た重い露を、舌の先へひとしずくずつ落として味わってみるのは閑人適意の韻事である」と漱石は書いた。あのとろりとした舌触り、朝露のような甘み。文人たちが「茶は玉露に限る」と愛したのも頷ける。
江戸時代の日本で煎茶道が確立する少し前だが、中国『紅楼夢』には比類なき茶の情景が描かれている。第14回で、尼僧の妙玉が梅花の雪を五年かけて貯蔵し、その水で点てた茶は「天上の味」と称賛された。このエピソードは、当時の文人社会における水への拘りを今に伝えるものだ。現代の研究でも、軟水がカテキンやテアニンを引き出す最適な水質とわかっている。

一方、イギリスで紅茶が流行し始めたのは意外にも17世紀後半──ポルトガルから嫁いだブラガンザ姫の持参品が宮廷で話題になり、ヴィクトリア朝で華やかなアフタヌーンティーとして完成した。
東西の茶文化はあまりに対照的だ。

琥珀色の紅茶にミルクを注ぐと、雲が空に溶け込むようにふんわりと広がる。これはインドの濃厚な茶葉に対応するため生まれた知恵だ。タンニンと乳タンパクが結びつき、胃を労わる飲み物へと変わる。レモンを添えれば、クエン酸との相乗効果で、午後の倦怠感を吹き飛ばす。
対して日本では、千利休の時代から「名水を求めて三里の道を行く」と言われるほど茶人たちは良質な水を追求していた記録が残っている。『南方録』には「朝ぼらけの露は天が下す恵み、雪は地が育む甘露」、『森野旧薬園記』(大分・江戸時代)には「正月の雪を壺に貯え、五月の茶に用いれば、その味格別なり」という記述がある。まさに「水を知る者は茶を制す」の極意である。しかも煎茶の真髄は「低温抽出」にある。高温だと苦みが強いが、60度以下でじっくり淹れれば、テアニンの甘みがゆっくりと溶け出す。

19世紀ヴィクトリア朝の貴婦人たちが銀のティーポットで温かい紅茶を注いでいた頃、京都の茶人はまだ露や雪を珍重していた。
茶という植物から、これほどまでに異なる文化が生まれた不思議。湯呑みの縁に唇を当てながら、千年の時空を超えた茶の旅に思いを馳せるのであった。